秋雨 アレンジ裏話

あきさめです。ボカロとかの楽譜作ります。

アレンジ裏話『水想葬歌』

『水想葬歌』 / dakara (piano arrange)
https://youtu.be/ZozCM8a7tH0?si=vp3ypoCrUJaPbb-k

 

16作目です。
本当に美しい曲で、何万とあるボカロ作品の中でも間違いなく輝きを放つ作品です。概要欄にも書いた通り、一つの映画を見た気分で、まさしく海のような深い感動を覚えました。

今回はアレンジの裏話ではなく、この作品の歌詞の美しさを私なりに解説します。

 

※今回は「死」を扱う内容ですから、どうかご無理をなさらないように。

 

【第一章  「自然」としての「死」】
『水想葬歌』の主題は「死 」を描いているように思えます。作品名の「葬」の字からも連想されますね。
  「死」と言われると、なんだか暗いもの、嫌なものと、負のイメージを持ってしまいます。しかし、この作品においては、それを決して負のものではないと見ています。
   勘違いしてはいけないのが「死は救済」のような「生」の否定としての「死」ではないということ。ここでの「死」とは、新たな「生」への準備を表します。
   輪廻転生という言葉がありますが、そこに美しさはありません。だから、輪廻転生というよりは、「羽化」といったところでしょうか。蝶の美しさは自然のものであることから、なかなか言い得て妙ではないでしょうか。なぜなら「死」も本来は自然のものであるからです。「死」が自然の摂理故に、肯定的に、というか、大観的に捉えているのは曲調からもわかると思います。

【第二章   動的な「死」】
   同時にこの作品の「死」は動的なものです。これは後述する『昼星のゆりかご』との比較で現れます。普通、「死」とは静的なものです。魂の抜けた体は動かないですよね。そして、「静かに息を引き取る」という表現がある通り、自然に訪れる場合の「死」とは静かなものです。
   しかし、作品は、先に述べたように動的な「死」を描きます。思い返せば、「羽化」とは、蛹の中の幼虫が眠りから覚め、動き出すことで始まるものです。次に進む一つの段階として「死」が現れているのです。さて、お気づきの方もいらっしゃるかもしれません。この作品の主題は「死」ではなく、「生」なのではないか。そうです。この作品の真の主題は「生」なのです。ならば、解説の最初の一文と矛盾していると思いがちですが、上手いこと矛盾しない表現にしてあります。いわゆる叙述トリックみたいなものです。
それはともかく、もう一度述べておくと、この作品の主題は「生」なのです。「死」があるからこそ「生」が強調されています。ああ、なんて素晴らしいのだろう!「歌詞が深い」なんて言葉だけでは表しきれない美しさです。

【第三章   『昼星のゆりかご』】
さて、dakaraさんには、この作品とは対になる作品があります。『昼星のゆりかご』といいます。聞き方は自由ですが、まずは曲調に、次に歌詞に注目して聞いてみるとわかりやすいかもしれません。
   『水想葬歌』が完璧な世界を構築していたのと同様に、『昼星のゆりかご』も完璧なもう一つの世界を作り上げています。
   しかし面白いことに、これらは一つの作品で完璧に成り立っているのに、互いに補完し合うことで更なる完璧なものへと昇華しているのです。簡単に言えば、これらの作品は小さいながらも完璧な球体です。しかし、二つが共鳴することで、より大きな球体が現れる、ということです。

【第四章   『水想葬歌』との対比構造】
   題名はなんとも綺麗で、『水想葬歌』と比べて明るいですね。私としては、「ゆりかご」は「ゆりかごから墓場まで」が由来ではないかと見ています。ということは、その主題は「生」となります。しかし『水想葬歌』の隠された主題は「生」でした。ならば、『昼星のゆりかご』は本当は「死」を表すのか。これは実は歌詞から読み取るのは少々難しいです。しかし明確な表現があります。それはMV、つまり映像です。1番最後のシーン、動画が終わるより先に少女が消えていきます。よく見てみると泡となっているのです。

      消えようとしても 消えないままで
      いつまでも いつまでも
      消えられないんだよ

                                   (『水想葬歌 』 dakara)

彼女の悲痛な願いは遂に成就しているのです
。だとすれば、やはり真の主題は「死 」となるのです。そして「死」を願うことで、「生」の強調をしているのです。
   話はそれますが、この泡になる、のモチーフとしてアンデルセンの『人魚姫』があるかと思います。(ヒレの表現も見られますね。)そして、ボカロ曲として同じく『人魚姫』がモチーフの作品をご存知ですか。それは『林檎売りの泡沫少女』。以前私がアレンジ作品として投稿した曲でもあります。ちなみに『林檎売り』は『白雪姫』と『マッチ売りの少女』が元ネタと思われます。で、『林檎売りの泡沫少女』がなんだという話ですが、「死を望んでも死ねない」、「泡沫 」の「少女」が繋がってるんです。これは拡大解釈ですが、もしかすると『林檎売りの泡沫少女』の影響を受けているのかもしれませんね。
   さて、この作品は主題の他にも対比表現が豊富で、挙げればキリがないほど。私のお気に入りを挙げると、『昼星のゆりかご』、『水想葬歌』の順に、
「静的な生」と「動的な死」
「諦観」と「希望」
「昼」と「夜」
「空」と「海」
「上昇」と「下降」
「停滞」と「進行」
といったところでしょうか。
私が見た限りでもまだまだありますから、皆さんも是非、探してみてくださいね。
ここまで見てきた通り、二つの世界は独立しながら共鳴し合い、更に壮大な世界を作り上げています。

【第五章   二つの世界】
   最後にこの二つが繰り返していることを述べて解説を終えましょう。『水想葬歌』では新たな「生」のための「死」を、そして『昼星のゆりかご』では「生」からの「死」を描いていました。つまりこの二つは何度も繰り返し巡っているのです。先に少しだけ触れた輪廻転生の考え方です。この二つの繰り返しは、やはり「生死」や「自然」を表しているのでしょう。実に素晴らしく美しい、壮大な世界が広がっているのです。

【おわりに】
大変長くなってしまいました。
私は感情的になると文が冗長になる悪い癖があるのですが、今回に限って言えば、この作品で受けた大きな感動を表しているとも言えます。もちろん今回の解釈は「私の」解釈です。皆さんには皆さんなりの、そして何より、dakaraさんにはdakaraさんの解釈があります。正解をひとつに絞らず、一人一人にとっての作品の世界を作り上げてください。
今回は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

原曲『水想葬歌』 / dakara
https://youtu.be/xYytQD948S0?si=lFqgX-_qzdpBqmgp